源流探し&ホタル見ツアー
手つなぎ工房の裏山を流れる蛇ヶ谷川をたどり、源流まで行く企画です。

まずは竹原さんから、埴生周辺の歴史について詳細な説明がありました。
埴生周辺の歴史
【70~80年前】
70~80万年前、園部・亀岡付近は大きな湖沼だったそうで、その後の地殻変動により盆地が形成されました。埴生を流れる川は大堰川に入りそのまま日本海に注いでいたらしいのですが、40万年程前の地殻変動で分水界が胡麻付近に移り、大堰川は大阪湾に流れるようになったのだそうです。
【古代】
埴生から1キロ程離れた南大谷野口には、古代の官道(いまの国道にあたる)だった山陰道のターミナルがありました。
古くから「野口郷」(ののぐちごう)と呼ばれ、現在「野口駅跡」という石碑がたっています。
【平安時代】
平安時代、この辺り一帯は藤原氏が所有する広大な荘園でした。道長の「御堂関白記」には「野口牧」という名で登場しているそうで、「牧」とついたのは駅の馬が放牧されていたからか、もともと多くの馬が放牧されていてそれに携わる人たちが暮らしていたところだったのかもしれないとのことです。
*ちなみにこの辺りの家々には馬をつないでおくための専用の土間があったはずで、われらが古民家にもかつては馬専用の土間があったのではないかとのこと。現在は洋室になっている部分だと思われます。
【源平の合戦】
平安末期には源義経が宇治川の合戦ののち、山陰道をたどり、この辺りを通って平家軍を追撃、さらに一の谷の合戦に臨んだのだそうです。
【戦国時代】
手つなぎ工房裏の川向こうの山には、埴生城址や墳墓、供養塔などがあり戦国の動乱を今に伝えています。
【江戸時代】
江戸時代になると埴生は宿場町として栄えました。
日本中を測量して正確な日本地図をつくった伊能忠敬の測量隊も、ここ埴生の本陣に泊った記録が残っているそうです。

山の中は植林された杉と檜がつづきます。かつては棚田だったそうです。

ちょうど棚田跡が終わるところに祠が二つありました。
これは山の神様を祀っているものだろうとのこと。祠より先は山の神様の住みかで、それより手前は人の里であることを示しているそうです。自然と対決し文明化をすすめる一方で、自然に対する畏敬の念を抱く人間の精神が、ひとつの形となって受け継がれてきたのでしょう。

前日の大雨で、山道に川ができていました。他にも川の生まれる場所をいくつか見ることが出来ました。

山頂はまだ先なのですが、この日はここがゴールとなりました。

山が遠くまで幾重にもかさなります。

山を降りてからは、パック野菜を使っての調理タイムとなりました。
どうしてもお風呂に入りたい人たちは、下ごしらえを済ませてから車に乗り込み近くの温泉へ。
るり渓温泉には水着着用の広い露天風呂があり、るり渓リピーターWさんのお話では家族連れなどでいつもにぎわうそうです。ちなみに水着は温泉の成分のせいなのかブヨブヨに伸びていて、入浴にはちょうどいい具合になっているそうです。

古民家でみんなそろって食事をいただきました。
すっかり暗くなった頃、車を少し走らせてホタルを見に行きました。ホタルの入れたホタルブクロの光もとてもきれいでした。
埴生のことをいろいろ教えてもらい、とてもたのしいツアーでした。
一泊するとやはりとてもゆっくりできます。
朝がきれいです。
みなさんもぜひ、埴生にお出かけください。(ム)


